チャイルドマインダーの子ども観

2000年頃の子どもの観察記録 他

番外:漫画の読み聞かせ

前回の別バージョン。
我が家では少年ジャンプは毎週購読していた。
家内も含め男児2人の親子4人で回し読み。
僕が息子らとやってたのが・・・
漫画の文字といえばセリフと効果音。
それを読んで何を読んでるか当てる。
例えば
「てんてんてん、ん、てんてんてん、はてな
「こいつもしかして、てんてんてん」
「じぃー」
「ぼやー」
「てんてんてん、あっ、びっくりびっくり」
てな感じ。

「てんてんてん」は「・・・」
「びっくりびっくり」は「!!」

時には効果音だけ
「にこり」
「しゅどん」
「どかっ」
「しゅぱ」
「ばがっ」
とか。

 

まぁ、結構楽しめた。

 

 

 

079 絵本の読み方

以前はてなブログで絵本の読み聞かせについてコメさせてもらったことがあるんだけど、その元ネタです。


初めての絵本を読む時ってちょっと大変。お母さんのセリフのつもりで声色を変えて読んでたら

「…………」とお父さんが言いました。

なんてなってしまったり…。

 

てなわけで、普通に読みながらも「」がでてくると素早く誰のセリフか判断して、それにあった調子で読んでくんだけどこれが結構難しい。

 

子どもが気に入った本は何度でも繰り替えし読まされる。でも真面目に読んでいるだけでは読み手としては飽きてしまう。そこで時々バリエーションを変える。

棒読み・早口・笑いながら・恐そうに・物まね・登場人物を友達などの実名に変えて…などなど。

最後には「普通によんで!」っておこられる事もしばしば。

 

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草 花

 

078 遊び空間の調和

5年生と年中の息子を連れ立って団地の公園にいった時の事。小学生(4〜5年生?)6人の先客がいて、公園内で三角ベースをやっていた。バットとグローブを使って球はどうやら軟球。

以前、キャッチボールの球が胸にあたった小学生が亡くなった事故に関してのニュースが取り上げられていた。そのような事を配慮すると、彼等に軟球の使用を止めさせるか、こちらが他の場所に移動するかのどちらかなんだろうなと思いつつも、子ども達の様子を見てみる事にした。

僕らがブランコや鉄棒・木登り等で遊んでいる間も彼等はゲームを中断する事はなかった。ただバットの振り幅が心なしか小さくなったようではあった。こちらも球筋を追いながら遊ぶ。両者間の暗黙の了解でその場が自然な状況に保たれたのだと思った。

 

アレはいいけどコレはダメ。ココまではいいけどソレ以上はダメと大人の裁量で仕切れば楽だけど、でもそういった線引きをしなくても子ども達だけでお互いを思いやりながら空間の調和がとれるようになるのは大事な事だと思う。

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カブトムシと玉虫

 

キャッチボールの球が胸にあたった小学生が亡くなった事故
2002年4月、宮城県内の公園で小学校4年の男児2人がキャッチボールをしていたところ、
球がそれ、近くにいた小学校5年の男児の胸附近にあたり、病院に運ばれたが間もなく死亡したという事故。死因はボールがあたった衝撃で心臓が停止した「心臓震とう」という認定だった。



077 テレビゲームは会話の材料

長男小学校5年の晩春。我が家にゲームキューブがやってきた。

世間でのテレビゲームの評価は子どもに及ぼす悪影響が心配され、とても推奨されている代物とはいえない。

しかしながら我が家にもテレビゲームの類いはあり、子どもには二歳頃から(積極的にではないにせよ)触らせていた。遊びの主体は他のところにあるので、特に心配する様な悪影響は感じなかった。『ゲームをする事』も、『テレビを見る事』と同レベルの問題だった。

 

子どもの友達間では誰の家で何をしようということで集合場所が決まる。ここのところ我が家がターゲットになっているらしく、連日友達を連れ込んではゲームに興じている。そんな風景を見ていても、いわゆる『悪影響』は感じられない。それはゲームをするシチュエーションの為だろうと思う。

 

友達は多い時には4〜5人集まる。ゲーム機は一台。対戦物は当然のことながらバトルごとに交代。一人が進めていくロールプレイングにしても、外野がうるさい。あ〜でもない、こ〜でもないとプレーヤーに指示を出したり、場面場面でギャグや冗談を飛び交わさせながら。プレーヤーが苦戦していると「ちょっとオレにやらせて」と助っ人にはいったり。…とにかく賑やか!。

場所も子ども部屋といったような密閉された様な所ではなく家人の目が届く範囲。

要するに、見ている物がテレビのモニターというだけであって、やってることはボードゲームと大差ないんだなと感じるんだよね。

頭は使うし、手先は動かすし、会話も成り立っているし、ギャーギャー盛り上がってる姿が微笑ましく感じられる。

 

僕が感じるテレビゲームの問題点としては『長時間』『一人で』ゲームに向う事。“ゲーム脳”という言葉が頭をよぎる。

ヒトはコミニュケーションの動物なんだというのを感じる。

会話の材料にするのがゲームの『正しい使い方』というのを子ども達から学んだような気がした。

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コンピ君とマウス君



076 子どもとは信頼関係を作ることから

僕は中学の頃運動系のクラブに所属していた。三年の頃の話。

ちょっと生意気なウンタラ(仮名)とカンタラ(仮名)という二年生がいた。不真面目…というほどではないんだけど、上級生のいうことを素直にきくというタイプではなかった。特に僕なんかけっこう舐められていた。

(そもそも僕には年下の者に舐められる資質があったみたい)

 

ある日、部活が終わって帰ろうとしてた時、一年生が2人、慌てた様子で「先輩!ウンタラ先輩がいじめられてる」とやってきた。うでっぷしには自信がないものの伝えられたからには知らん顔は出来ないので現場に行ってみると、階段の踊り場で三人の同級生にからまれていた。むなぐらをつかまれ、何発かこつかれていたところだった。

 

相手は二年!上級生という立場だけを武器に、仲裁に入ったんだけど、「オメーにはかんけいないだろー」って軽く突き飛ばされた。で、突き飛ばされては分け入り、突き飛ばされては分け入りを繰り返してるうちに僕に知らせてくれた一年生が教師を連れてきた。その姿をみて、奴等は姿を消していった。

 

というわけで僕としては全然かっこいいところを見せられなかった。むしろみっともないところを見られたもんで、いよいよもって軽く見られるんだろうなと思ってたんだけど…。

その日を境にウンタラの態度が少し変わった。僕に対して…なんというか…気を使うようになったというか、従順になったというか…。彼としては何らかの信頼を僕に感じてくれたのではないだろうかという嬉しい思いをした。

何もできなかったんだけどね。

 

コレを子どもとの関係に置き換えると…。

自分を理解し、応援し、守ってくれると認識した者に対しては従順になる(言うことを聞く)ものではないのかなって。

(親子関係だとそこに『甘え』って要素が入ってくるから一概には言い切れないけど)

信頼している人の言う事には少々疑問に感じても従ってしまうものじゃないかなって。

逆に、どんな正論で接してこられても、信頼してない人の言葉には素直に従えないもんだとも思う。

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ウルトラマンのお面



075 指示出しは具体的に

5年生の長男、連日友達を家に誘い込んでゲームキューブスーパーファミコンに夢中になっている。その影響で年中の次男も時折ゲームをする。ボタンを押すだけのバトルものは一人でやってるときがある。

そんなある日、片づけがきちんとできていなかった。

「ちゃんと片づけな」と言ってもしらん顔。

「片付けない人はゲームやっちゃいけないんだよ」

「これからゲームしちゃいけないことにしよう!」

などと脅し文句を使いながら、無理矢理片付けさせた。

 

そんなことがあった数時間後、ある育児サイトを閲覧してた。そこには「アレはダメ、コレはダメという否定の言葉より、こうしましょうという肯定の言葉での働きかけ」を推奨するような内容が書かれていた。

「しちゃダメだけを伝えるのではなく『じゃ、どうすればいいの』っていうことまで伝えるべき」という自分の持論を確認した訳だけど…そういえば…。

 

片付けを促す言葉って「『片付けなさい』でよかったんだっけ」という疑問がわいてきた。

「たしか『〇〇を××に入れて』といったようなより具体的な表現だったよな」という思い。子どもの成長と共に、以前は当り前に出来ていた細かい接し方が出来なくなってきた事を感じた。

 

弁解めいて言うなら「具体的に言わなくても理解できる様になったと判断した」って事なんだけどね。

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おとうさん(いや、こんなんじゃないから……)

074 風船をわられない方法

年少次男が風船をわる遊びをしているとき、途中から4年生の長男が混ざってきた。

最後の一個は残しておきたかった長男は次男に、「ね、それはわらないで」と『お願い』。

ところが、次男はわる気満々で風船にのしかかってくる。

止めさせようとする兄。わろうとする弟。

風船の奪い合いに勝った長男は素早く油性マジックをとりだして、風船に弟のかわいがっているイモムシのぬいぐるみの顔を描いた。

 

「どうだ、これでわれなくなっただろう」

彼女(風船)はイモムシ風船となって天寿を全うしたのでした。

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うもも

 



073 優しさと残忍さ

次男年少の夏。当時アリ釣りと言う遊びをよくしていた。

エノコログサ(通称ネコジャラシ)等の細い茎をアリの巣穴へ入れて、つたってきた奴を引っ張りあげるという遊び。

ある日、巣穴近くを掘ってたら小さなイモムシが出てきた。息子はそれをアリの巣穴の近くに置いた。するとアリが出てきて格闘の末、そのイモムシを巣穴へと運んで行った。それを見ていた息子は「よし、これでアリのご飯が出来た」と満足した様子。

次の瞬間

「今度は、つぶすね」といって、巣穴から出ているアリを踏み始めた。

優しいんだか残忍なんだか。

 

ただ『優しさ』も『残忍さ』も大人になったしまった僕の価値観なんだろうね。子どもにとっては極自然な行為なんだろう。

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国産のカブトムシ



072 砂場には寝転んでもいい格好で出掛ける

時折、幼稚園児に連れられて公園の砂遊びに行く。目的が砂遊びなのだから当然汚れてもいい格好。持ち物もシャベルにコップに(ガチャポンの)空きカプセル、洗面器にペットボトル。
あと、タオルと水筒。

がしかし。砂遊びセットを持参してるのにも関わらず、よそ行き着のような格好で現れる親子を時折見かける。特に女の子。
あんなんじゃ思いっきり遊べないだろうにと同情。

親も同じ。砂遊びではなく、砂遊ばせに来ているといったところなのかな。

僕のようにベタ座りの大人は未だ見た事がない。大人だってもっと本気になって遊べばいいのにと思ってしまう。

 

その日も年中の次男といつもの砂場に出掛けた。ペットボトルに水をくんで洗面器にうつして泥団子ならぬ、砂団子を作り始めた。僕は砂山があったのでそれを作り直し、山トンネルや地下トンネル、山道なんかをこさえていたんだけど、息子が「埋まりたい」と言ってきた。

深く掘った穴に手をつっこんで砂をかぶせて、ぬく。何度かくりかえした後、今度は「足を埋める」というので長座ができるくらいの穴に座らせ、砂をかぶせて「さあ、抜け出してごらん」ってなかんじ。
全身ではないものの、ビーチでの定番遊び。

そういった様子を一人の女の子(小2)が見ていた。必死に抜け出そうとしている息子をジッと見ていたので、「おもしろそうでしょう」「いっしょに助けてあげて」というと、手近にあったシャベルで掘り出す作業を始めた。
掘り出した後は彼女の弟(年少)も加わって山を作ったり、トンネルを開けたり、地下トンネルを掘ったり、ケーキをこさえて花や葉っぱでデコレーションしたり…時々ぶらんこや滑り台で浮気してみたりと、2時間近く遊んでた。

遊びの終盤頃彼女が「今日は公園に来て正解だったよ」とつぶやいた。

なんで?と聞くと

「だってこんなに楽しいんだもん」
「生きててよかったよ」

そんな言葉に嬉しさを感じつつも、こんな他愛のない遊びでそんなにも喜べるなんて、「じゃ、一体、いつもはどんな遊び方なんだろう」「楽しいと思える機会って、そんなに少ないんだろうか」などと、変に考えてしまった。
親は…というと「お母さんは仕事で、今日はお父さんと来た」らしく、お父さんはベンチで遠巻きにくつろいでいらっしゃいました。

 

実は、次男を掘り出した後「お姉ちゃんもやってみたい?」と声を掛けてみた。
そしたら「うん」といって穴に入る仕種を見せようとしたんだけど、靴もジーパンも砂まみれにするには忍びないほど綺麗だったので
「やっぱりやめようか、お家の人にしかられるかもね」と言って思いとどまってもらったんだよね。
その時「この子は大丈夫なの」と羨ましそうに・・・。
砂場はもちろん公園等へは汚れてもいい格好で出掛けようよ!

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バナナ マン