子どもを呪う言葉・救う言葉
人は自分の意に合ったものに出会うと嬉しくなる。
例えば・・・文中の「みんなと仲良く」が個性を破壊する は日頃思ってること。
人を嫌うとか、犯罪に繋がるようなことだって思ってるだけなら何の問題もない。それを実行に移さないように導くのが親の責任だと思う。
著者が犯罪心理学者ということで特別感、非日常感もあるかもしれないけど、日常生活を送るにあたってとても参考になると感じます。
未だに素直になれない心
X(Twitter)見てて教育評論家さんの「〇〇しましょう」「〇〇してはいけません」的なコメントがどうも鼻について仕方ない。
「自分の経験ではこうだった」「自分はこういうことを知っている」「自分はこう思う」にとどめてくれればいいのに。
それが正しいんだろうなって思っても素直になれない。
「勉強しなさい」って言われて従うことに抵抗を感じてた子どもの時のままだ。
106 雨の日の遊び
あれは次男が小三の夏だった。
一度やってみたかった事を決行することにした。
雨の中の散歩。
持ち物は特になし。
濡れてもいい格好で出発。
いつもの公園だったり、神社だったり、ハケ沿いだったり、林だったり。
林の中の少し開けた空間。
芝生の様な草原(くさはら)に仰向けに寝転んでみた。
雨を真下から見る
『うぉ〜〜』『うわ〜〜〜』っていう感じ。
僕と次男の姿を見つけて近侍に住んでた次男のクラスメイト(女子)が小四のお姉ちゃんと出てきた。
カッパ着て、長靴履いて傘さして。
「そんなことしていいの?」って、羨ましそうに。
105 お箸の持ち方
息子らが成人した今も箸の持ち方については話題になることがある。
僕はどうやら正しい持ち方ではないらしい。
でも正しい持ち方より箸使いには自信がある。
母親の持ち方が正しいとされてる様だったが、父親はいわゆる『裏ばし』。家内も『裏ばし』。幼児の頃の長男はまあまともな箸使いだったけど、次男はよくあれで物が挟めるなって言う様な握り方。
今では自分でも
よくあれで挟めてたなって言ってる。
こんな感じ。
真似するとつりそうになる。
104 小二男児vs擦り傷の痛み
小二の次男、風呂に入るのにちょっとした膝の擦り傷がしみる様で、濡らさない様かなり慎重になっていた。
傷のある片足はお湯につけず入ってたんだけど、次第に体勢が辛くなった様で意を決して湯船につけてみた。
数秒耐えてたけれど堪えきれず湯船から出てしまった。
「そんなにしみるならもう上がれば」
と言ったのに対し
「イヤだ!」
僕「じゃ、ハンカチを膝に巻く」
次男「すぐしみてくる」
僕「タオルを膝に巻く」
次男「それでもしみる」
僕「我慢する」
次男「ムリ」
僕「じゃ、泣いてもいいから」
次男「イヤだ」
僕「泣いてる間にお父さんが洗ってやるから」
次男「どうすればいいのぉ」(半泣き)
僕「そんなに痛いんなら上がるか我慢するかどっちかだよぉ」
しばらく考えて彼の出した答えは
「泣きながら我慢する!」
言葉通り泣きながら我慢してた。
103 手に穴が開く(数秒過去の記憶)
子どもチャレンジの記事にあった「手に穴があく」という遊び。
片目を包む程度の円筒を作って、(例えば)右目で覗き込む。左目もつぶらず左手を見ると左手を通して右目で見えてる景色が見えるという遊び。
小二次男が挑戦。初回はうまく行ったもののそれ以降うまくいかずにイライラし始めてきた。
半泣きになった頃成功。
喜んだのも束の間、泣き止んで気を取り直してから再挑戦。
なかなかうまくいかない。
とうとう
「泣けばうまくいくのかな」
って結論に。
・・・イヤ、違うと思うぞ。
102 心をコントロールできた二歳児
久々に託児ボランティアにきてくれたさとしくん(仮名)2歳。
1歳のころは泣くか寝るかだったのが、今回は……と言いたいところが、相変わらず。
お母さんと離れた瞬間泣き出してしまった。
僕は『おかあさんのところへ行きたいのに行けない』というストレスを紛らわせようとカラーボール遊びを初めてみた。投げたり、取ったり、ぶつけたり。でもすぐに反応はなくなりただ泣くばかり。
次はお手玉……興味なし。今度は抱き上げて回転運動……興味なし。
「おかあさんのとこにいく〜」
「おか〜さんこっちだよーー」と母親がいなくなった方を指差すばかり。
ボラ仲間のおばあちゃん先生は「お母さんすぐくるから」と、僕にとっては一番言って欲しくない言葉掛けをしちゃった。
こっちは『お母さん』を意識の外に出そうとしてるのに。
その言葉をスルーして、今度は何かに集中させようと形ハメ遊びにチャレンジ。
「これは何かな」「ゾーさんみたいだねぇ」「どこに入れようか」なぁ〜んてやってると泣きながらも形を手に取り探し始めたではないか。
一つハマった時点で泣くのをやめ、次に挑戦。ここまでおよそ20分。
さとしくんの『落とし所』は『何かに集中させる』が正解だったみたい。
僕は母親を彼の意識から出すことに成功したのでした!
と言いたいところだったけど、ときおり
「もうすぐおかあさんくるよ」
「さん(3時15分)になったらおかあさんくるよ」って言いながらパズルを繰り返した。
お母さんのことしっかり意識しながら待ててるじゃん。
これって成長?
って感心したエピソードでした。
101 心の病と体の病
小一次男の話。
「勉強ができていない」と先生(女性)から叱責を受けたらしい。
他のクラスメイトも何人か同じように言われたらしいんだけど……。
その日は友達2人を誘って自宅で遊んでたのに、2人が帰ってしまうと「あのことを思い出して泣きそうになってしまう」と家内にずっとしがみついていたんだそうな。
しがみつかれてた家内、息子の体が熱いと感じて検温してみたところ37度8分。家内は「元々鼻水は出てたんだけど精神的なものもあるんじゃないかな」って言っていた。
翌日は36度8分。土曜日と言うこともあり「お父さんと遊ぶ」と意気込んでくれてたのに、僕の都合で遊べるようになったのが昼過ぎ。
試しに検温したら37度2分。少し迷ったけどこのままでは彼はストレスをため込むばかりになってしまうと思ったので、外遊びに出かけた。
近くの神社へ行くと長男の友人の妹(小三)が一人で遊んでたので、彼女とゴルフごっこ、野球ごっこ、かくれんぼなんかで時間を過ごし、帰宅。
「今日は楽しかった」と言う次男の検温結果は37度6分。
上がってた。
でも、「体のギズなら治せるけれど、心の痛手は癒せはしない」っていうし、マ、いいか。
長男の友人の妹さん。
うつしてたらごめんなさい。
(コロナ禍での出来事ではありません)
100 「学校にいきたくない」に対して
小一次男のクラスに学校にいくのがイヤになった子がいた。原因は「みんなとペースが合わない」
わりとスローペース、おっとり型のドロシーちゃん(仮名)で、マイペースでいるとなかなか皆と歩調が合わない。この時の女性担任は『皆一緒にサクサク』というのを好むタイプでどうやら彼女はそれを重荷に感じ「学校に行きたくない」ということになったらしい。
次男の話によるとクラスでも「ドロシーちゃんが学校に来ないのは先生との相性が悪いから」ということになっているみたい。母親と担任は話し合いをしているようで、家内から聞いたところによると「ドロシーちゃんだけ特別というわけにはいかないから」と言われたらしい。
集団教育というのはそんなもんなのかなと思ってしまった。集団の中に『特別』があってはいけないんだろ。
でも灰谷健次郎なら、鹿島和夫ならどうするだろう。「学校にいきたくない」と思わせるまでの対処をしただろうか?
指導する側としてはみんなが同じペースだとすごく楽なんだろうけどね。
099 クマのぬいぐるみのふり
当事僕は車の免許を持っていず、運転はもっぱら家内の担当。後部座席に僕と長男という図式。乳児の頃はク−ファンに入れていたんだけど、はみ出すようになってからは僕がシートベルト代わり。
抱いてるだけでは手に余るようになってからは、割と自由にさせていた。シートベルトもせずに。(←今では道交法違反)
ただ高速の料金所を通る時は係委員に見とがめられてはと、かたちだけでも着用させてようとしていたんだけど、面倒になってきた僕は「ぬいぐるみのふりでもしてればいいんじゃない?」
家内はそれにのってきて、「じゃあ、クマのぬいぐるみのマネをして」と。
すると長男は一生懸命両手をグ−にして頭の上にもっていき、かたい表情でジッとしてた。
中一になった彼がボソリ
「あの時は本気にしていた」
子どもの心は純真でしたというオハナシ。