チャイルドマインダーの子ども観

2000年頃の子どもの観察記録 他

080 心に寄り添ってばかりはいられない

我が家の長男は小1〜小3くらいまでの夏休みの自由研究は家内の指導(主導?)のもと、そこそこの出来栄のものが仕上がっていた。本人には『やるぞぉ』というような意気込みはみられず、『やらなきゃいけない』『やらされている』という感じ。

4年の夏は『母親の手伝い』がなかったせいか、惨敗!それでも、過去3年間に培われたノウハウは生きているように感じらた。そして5年生。自力でのみ仕上げた自由研究が、なんとか評価された。

6年では前年ほどの評価はなかったものの、独創的で、そこのは家内(母親)の影は感じられなかった。

いきなり突き放すのではなく、ある程度の素地を整えた上で『見守る』。家内の子どもへの接し方と、それに応えた長男の努力だったのかな。

 

大相撲の元小結舞の海のこんな話があった。

彼は中学の相撲部で毎日やめることばかり考えていたそうで、小学生の頃は強かったので始めた相撲が、中学に入ってからは同級生との間に身体的な成長の差が出始め…挫折しそうになったんだって。

放課後、こっそり学校を抜け出そうとすると、顧問の先生が校門で待っていて逃げても追いかけてきた。結局部屋へ連れ戻されて孟稽古。

高校では『騙された』形で入部させられたものの、厳しい稽古のおかげで強くなっていき、楽しさも感じていったということだった。

「今の自分があるのは、中学の先生のおかげ。子どもには、つらくてもそれを受け止め、乗り越えるべく精進するなんてことはできない。どうしても楽な方に逃げてしまうんです。だから何でもかんでも子どもの自主性に任せるという教育方針には、賛成できませんね。子どもがやり遂げるまで、親や教師が強制することも子どもの成長のためには大事だと考えています。」

読売新聞の中でのお話でした。

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