チャイルドマインダーの子ども観

2000年頃の子どもの観察記録 他

065 悪気のない嘘は発想の豊かさ

4年生の長男。学校から帰宅するなり「うちよ塾に行ってくる」とノートとペンケースを持って出掛けて行こうとしたので「勉強か?まさか〜?」と思いながら聞いてみたら、『う』クンの家で『ち』(自分)と『よ』クンが集まって漫画をかくんだって。

そういえば、最近気が付くと漫画ばかりかいている。

「そんな暇があるんなら勉強でも…」と言いたくなることをグットがまんして、勉強ごときで折角の創作意欲を萎えさせてはいけないからね。

それにしても、漫画をかくのにわざわざ友達の家にいくのかと聞いたところ「友達と一緒にいたほうがイメージがわくんだよね。『う』は一本だけど、ぼくと『よ』は二本同時にかいてるんだ」とのこと。

デザイナーという職にありながらイメージ貧困な父としては息子をうらやましくおもいながら見送ったのだった。

 

家族で夜見た夢を発表しあっていると、年少の次男も混ざってくる。長男は「それ、嘘だろう!」と言って相手にしない。内容が長男の見た夢と酷似していたりして、明らかに作り話だなと思いつつも、僕はつっこみを入れながらどんどん大きな物語にさせていくのを楽しんでいる。

幼児の場合、自分の作り話のなかに入ってしまう子もいるようで、それがそれがあまりにリアルで、しかも『今日、幼稚園であったこと』として話されると、聞かされた方はホントにあったことではないかと信じてしまいそうにもなる。でも、つっこみ(質問?)をいれていくと、矛盾点やボロがでてきて「なんか、あやしい」と思えてきて、『ホントの様なウソの話』に気づくことができる。

でも、それは『嘘』というより一つの『作品』って思ってしまうんだよね。

漫画も、映画も、小説も……みんな(ほとんど)『嘘』から生まれてるんだもんね。

 

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