チャイルドマインダーの子ども観

2000年頃の子どもの観察記録 他

044 人前で努力は見せない意地っ張り


長男は幼稚園の年長の春過ぎから半年間スイミングに通っていた。もう少しでちゃんと泳げるようになるだろうというところで辞めてしまったんだけど、そのことが小学校4年生の夏に大きな後悔?を生むことになるのだった。

 

プールのある日に限って体調をくずした。

なんとかせねばと思った家内は市民プールで僕と遊ばせることを提案。2時間足らずの練習だったけど、もともとそれほど不器用でない彼は、それまでできなかった息継ぎも、なんとか形になるようになった。

それからはプールの授業を休むこともなくなったな。

これを学校でやってくれればいいんだけど、それが出来ない。

てか、やろうとしない。

 

なぜ?

プライドが高いから。

人前で格好の悪いところを見せたくないんだったと思う。

ちょっとやって出来ないことは、もうやろうとしないというようなところが幼稚園児の頃からあった。

 

育児関係の雑誌を見ていたら、『誉めて育て過ぎると、誉められないことはやりたがらなくなる』と言った内容の記事が書かれていた。「失敗をこわがるようになる」と言うことらしい。

思いっきり身に覚えがあった。

 

でもね「失敗した!」とは思わないね。

やはり子どもは誉めながら育てていくほうがいいんじゃないかな。

ただ、失敗をこわがらないように、失敗はカッコ悪いことじゃないって思えるように仕向けられればもっと良かったかなって思ったりはするね。

 

ウチの長男の場合は水泳や縄跳び、ブランコのような全身運動とはちがって、手先を使ったことに関しては、どれ程失敗してもやり遂げようとする。

積み木や折り紙、はさみできったり、糊ではったりとか、自分の理想の形に成るまで、泣きながら取り組んでいる姿を何度も見せられて来た。

「なんでできないんだよ〜」と号泣する場面もしばしば。

親が手伝ったのではダメ。これもまたプライドの高さなんだろうな。

 

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ば〜なな