チャイルドマインダーの子ども観

2000年頃の子どもの観察記録 他

026 無駄話は無駄じゃない

僕がフリーのデザイナーだった頃、得意先でクリエイティブ会議みたいなのがあって参加してたんだけど会議時間が長かった。
なぜかってーと、『無駄話』が多い。
でもね、無駄と思われるような話からアイデアがポッと出てきたりするもんなんだよね。
フリーになる前のデザイン会社の社長も本題とは関係なさそうな話が多かった。
でもね、それでクライアントとコミニュケーションとってたんだよね。

ちょっと(でもないか)遡って僕が高三の時の進路相談の時の話。
担任(おじさん教諭)と教室で二人きり。
緊張して、どう切り出していいかわからないまま入ってったなぁ教室に。
したら、先生、開口一番「どう?最近走ってる?勉強ばったりで体動かしてないんじゃない?」って。
その担任はジョギングが趣味で、陸上部で長距離を走ってた僕との数少ない共通話題。
そんな絡めてから話を進められて、本題に入る頃には緊張感は無くなってた。
『うまいな〜』って客観視できるほど余裕も出てたね。

ふた昔ほど前の読売新聞に教員・心理カウンセラーの話が載っててんだけど、
「無駄な話、くだら


ない話を積み重ねて、子どもが弱音や愚痴をはける親子関係にしておくこと」が大切だって。
フムフム。


子育てに熱心な親ほど子どもの態度に敏感なもの。
ちょっといつもと違う言動があると「どうしたの」「悩みごとでもあるの」と問題を直接的に解決しようとするんだって。
でもそれは「子どもの心配をしているふりをして子どもを追い詰めている」状態なのだそうだ。
フムフム。

 

僕は保育参観とか授業参観とかはほとんど顔を見せてた。
子どもの友達とも我が子抜きで遊んだり。
なので子どもの幼稚園や学校の話を聞くことは楽しかったし、話にしっかりついていくことができてた。
そんなこんなで子ども等もストレスは少なかったんじゃないかな。

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グラマナスなトンボ