チャイルドマインダーの子ども観

2000年頃の子どもの観察記録 他

038 しゃがもうよ子どもの目線はもっと下

子どもに「ホラ、あそこ」とか指で指し示すとき、立ったまま自分の目線で腕を伸ばしてるお父さんがいた。
子ども「どこ?」父「あそこだよ!」
ヤレヤレ。
「お父さん、あなたからは見えるだろうけど、お子さんからはどうなのかな?」って言ってやりたい気持ちをグッとこらえた。

しゃがもうよ!
差し示す指は子どもの目の横に持ってこようよ!

横並びの場合はマア百歩譲っても

子どもの後ろから指し示す人も見かける。

子どもは一旦後ろを向いて前に向き直る。
そのすきに目標物がいなくなる。
ヤレヤレ。

って思う僕は過保護?
そこまで子供目線の必要はない??

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だれ?

 

番外:怒ってもいい時

新聞に警察学校の記事があった。
礼儀知らずで常識がなく、警察学校は『マナー教室』のようなものといった内容だった。
人と接する機会が少なく他人と話す事に慣れていない。怒鳴られた事もないので、そういった事があると戸惑ってしまうので職務質問も満足にできない。だって。
コミュニケーション能力不足ということだね。

メールでは感情まで伝わらない。ファックスなども含めた手書きの文字。電話での肉声。それよりも、やはり同じ空間で、表情や態度を見ながらの会話ということなんだよね。

話はちょっとそれますが、チャイマイ講座で「叱ると怒る」というテーマの時「筋道を立てて叱るのは感情的に怒るのとは違う」というのが話し合われた。その話の最後に先生は
「『怒りたい程に伝えたい事もある』というのをわかってもらう事も大切な事」と締めくくった。

番外:となりのトトロを題材に<3>

となりのトトロの場面を選びながら、子どもとの関わりについて考えていこうといった主旨のシンポジュウムに行った時の話。講師は臨床心理士の先生だった。

●おかあさんがサツキの髪をとかす場面 サツキ、かすかに笑みをのぞかせる。
【先生のお話(要約)】
 病室の入るなりおかあさんに抱きついたメイに対し、少し我慢していたサツキの『ようやくおかあさんに触れてもらえた』という思いと、それにもまして、そんな自分の気持ちを察してもらえたという喜びの感じられる場面です。

●帰りの自転車三人乗りの場面
 メイ「おかあさん、メイのふとんで寝たいって」
【先生のお話(要約)】
 メイはおかあさんに言葉のプレゼントをもらって帰っています。サツキも「サツキの髪はおかあさんに似ているね」という言葉をもらった時、笑顔がみえました。これも言葉のプレゼントといえるでしょう。これらの言葉のおかげで、ふたりはまた、しばらく頑張れるのです。家族の土台作りは言葉に依るところが多いものです。

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講演時間の関係で聞けたのはここまで。
先生自身も「しりきれとんぼになってしまて…」って言ってたんで、最後まで検証してたんだと思う。最後まで聞いてみたかったな。

 
 

 

番外:ダッコ、オンブ、肩車の功績


又聞きで恐縮です。
知人が
「誰も書かなかった整体学」っていう本の引用だと言ってこんな文章を紹介してくれました。

以下引用です
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 子供は抱かれるときに、ただ単に親の胸の中や背中にひっついているわけではないのです。子供は、抱かれたりおんぶされたりすることによって、無意識のうちに自分の体の重心である腰というものの感覚を養っているのです。どこに重心をおけば落ちないでいられるかという感覚を、無意識のうちに感じ取ってゆくのです。また、親に抱かれることによって、自分の体、例えば、自分の頭、胸、手や足が、当然。親の肌にふれ、その触れてゆく事で、自分の体をより多く感じ取ってゆくのです。
 人との距離感、自分の体に対する自己感覚、そういったまさしく身体感覚というものが、現代の若者に希薄になってきている、その原因の1つに、親におんぶされたり、抱っこされたりということが少なくなってきていることがあるように思います。
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ウチの子らの運動神経というか、運動感覚というか、運動適応性というか、優れているというのはあまりにもおこがましいけど、まぁ悪くないのはこういうことだったのかって思ってしまった。
息子らよ。父に感謝すべし!!

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戦闘もののヒロイン



番外:となりのトトロを題材に<2>

となりのトトロの場面を選びながら、子どもとの関わりについて考えていこうといった主旨のシンポジュウムに行った時の話。講師は臨床心理士の先生だった。

●おはあちゃん、登場の場面

 走ってきたメイに「元気だね~」
メイと自分をおばあちゃんに紹介するサツキに対して
「賢そうな子だよ~」
【先生のお話(要約)】
 比較をしない誉め方をしています。「元気だね~」に「それに比べてサツキちゃんは元気ないね」という意味は感じられません。「賢そうな子だよ~」に「それにひきかえメイちゃんはバカみたいだね~」という意味も感じられません。そこには達成感を共に喜びあう姿勢が伺えます。
 子どもの授業参観などで先生が姿勢を正すよう指導している場面をみかけますが、たいがい、「〇〇さんはよくできています」という言葉を聞きます。そこには、誉める事による支配、他の人もそうするようにという「お願い」が感じられます。
 しつけ=おねだりというわけです。
 ないもの(できないこと)をねだられたときの対応には3つあります。
1 従順「しかたがない」という努力
2 反抗「なんだとー」という反発
3 発症(心の病気に陥る)


●おかあさんの病室へお見舞いの場面
 メイ「おとうさん、道まちがえちゃったんだよ」
 おかあさん「そう…」
【先生のお話(要約)】
 この言葉には非難も否定もありません。事実を素直に受け止めているだけです。「ばかだねぇ」とか「しょうがないおとうさんねぇ~」と言わないところが偉いです。



つづく 
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shironori.hatenablog.com

 

番外:駄々こねについて

「帰らない」と泣きわめいたり、カンが強かったり、かんしゃくを起したりといったいわいる『扱いにくい』と感じる子に対してどう接したら良いかということが新聞でアドバイスされていた。
ここでのキーワードは子どもの心を推し量りながらの『言葉掛け』。公園から帰りたくないと泣く子に対しては「まだ遊びたいね、泣いてもいいよ」と子どもの気持ちを代弁しながら連れ帰る。親子の気持ちが安定している時に、だっこやじゃれ合い遊びで心を触れ合わせる。んだって。

とはいえ気持ちが安定してなかったり、気持ちに余裕がない時だからこそ『扱いにくい』と思ってしまうんだろうに。
そんなとき撲は子どもと一緒に泣いてたね。「エーン、おとうさんももっと遊びたいよー」とか。
欲しい食べ物が無くなってぐずり出したら「エーン、おとうさんも食べたかったよー」など。
夜泣きがひどかった時期も無理に泣きやまさせようとはせず、抱いたまま一緒に泣いてたなぁ。
隣に長男と一つ下の女の子がいたんだけど、その子が泣き出すと「一緒に泣こうか。エーン」と言うパパさんの声が聞こえてきたりして、「ア、同じジャン」って思ってた。

記事の中で「手のかかる子だったり、かんしゃくを起しやすかったりすると、『子育てが間違っているんではないか』『愛情が足りないんではないか』と自分を責めてしまう方がいらっしゃる」とあった。
「だだをこねるのは頭がいいから。頭がいいから色んな方法で親の関心を引こうとしている」
「手を掛けているほど手が掛からなくなる」
な〜んて勝手に思って、我慢しながらもてきとーに接っしてたんでストレスも少なかったな。
(なかったとは言わない!!)

番外:マップペン

はてなブログの中に子どものお絵かきについて載せてる人がいて、風呂場であったり、でかい模造紙であったり段ボールであったり・・・ってなかなか面白そうだなって読ませてもらった。
で、ウチは『マップペン』ってのを使ってたんだけど、どうやら今はないらしい。
投稿者の方に聞いたりもしたんだけど、もう売ってないんじゃないかなって。

色は紫一色なのでマーカーや絵具、クレヨンには負けるけど、書いても数日後には脱色すると言う物で、白い壁や冷蔵庫とかに書きたい放題やらせてた・・・。
って言う写真を発掘したので紹介してみま〜す。

20年ちょい前の写真です。
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知ってる人、いるかなぁ?



 

番外:となりのトトロを題材に<1>

となりのトトロの場面を選びながら、子どもとの関わりについて考えていこうといった主旨のシンポジュウムに行った時の話。講師は臨床心理士の先生だった。

●引っ越しの場面
 メイとサツキがドングリを見つけて騒いで?いるところ
 お父さん「おいおい、雨戸があけられないじゃないか」
【先生のお話(要約)】
 言葉は意味と響きとで構成されています。否定的な意味内容でも語調を柔らかくすると受け手も嫌な感じは受けません。逆に肯定的な意味内容でも語調に刺々しさがあった場合、いやみや皮肉に聞こえたりして、受け手もイヤーな感じになります。
 この場面は「じゃまだからどきなさい」ということを言っているのですが、柔らかな語感の為、叱っているようには聞こえてきません。
 子どもがだだをこねるのも、親が叱るのも相手に対しての依存あるいはおねだりであり、親子はねだり、ねだられる関係と言えます。

つづく 
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